地震の痕跡を残す神社〜火雷神社〜

どうも荒川鯉師です。
東北を主とする太平洋沿岸を襲った東日本大震災に伴う大津波は、ありとあらゆるものを奪い去り今もなお復旧・復興が行われているが、その中でも注目されているのが貞観年間に発生した貞観地震に伴う大津波の爪痕は『浪分神社』として後世に残されていた話は、多くのメディアで取り上げられ、先代が遺し、時代とともに埋もれてしまった史実を浮かび上がらせるものだった。
そんな東北から離れた静岡県函南町にも同じく地震による被害を後世に遺そうとしている神社がある。火雷神社(からいじんじゃ)と言われる神社に今回は参拝してきました。それではどうぞ。

火雷神社と丹那断層


神社の謂れが記された看板が無く、正確な事は言えないが社名からし火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)を祀っていると考えられる。その名の通り雷神であり、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす事から農民の間で広まった信仰神であり、この函南地区は、酪農業地域であるため自然発生的にこの神社を信仰したとしても不思議ではない。

その神社の旧鳥居と階段の間を丹那断層と言われている断層帯が走っている。そんな断層が最後に動いたのは昭和5年(1930年)11月26日午前4時2分、M7.3の地震が発生し現函南町三島市などで震度6(昭和5年当時の震度階級)を観測し北は福島から南は大分まで揺れを観測した。貯水池の決壊による水死者を含め、静岡、神奈川県を中心に死傷者・行方不明者272名を数える災害となった。この地震は、後に北伊豆地震と言われている。

なお、この地震が発生する20日前の11月7日から群発地震を観測し、本震の前日である11月25日にはM5.0の地震を観測し、この地震が発生した。また、伊東市沖でも不穏な動きが観測されており、2月13日を皮切りに5月末まで揺れを観測し特に3月9日のM5.3、3月22日のM5.9、5月17日のM5.8の地震を観測し伊東市が最大10cm隆起した。

なお、この伊東市群発地震と北伊豆地震の関係性は分かっていないが、隆起したとなれば、伊豆半島、特に半島と本州の付け根に相当歪みが溜まり、その歪みに耐えられなくなった断層が動き北伊豆地震が発生したと容易に推測出来る。
北伊豆地震によって発生した断層は最大3.5mの水平移動、2.4mの上下移動が丹那盆地で観測されました。
そんな水平移動した断層の痕跡が残っているのが最初に説明した火雷神社にある。旧鳥居は倒壊して柱の一部しか残っていないが、旧鳥居と階段のズレが地震のパワーと威力を物語っている。詳しくは図示をみていただけると幸いです。

                                  • -

久々の調査報告ブログでしたが、自分の趣味である地学と神社の両方が見れる神社を参拝出来て大変勉強になりました。
さて、次は何処を調査しようか...。

出典