郷土史研究2

どうも鯉の子です。
久しぶりの郷土史研究ですが、こんな調子でやってまいります。
本日は外界にある博麗神社に行ってきました――と言うのは嘘です。まぁ行けたら行ってますけど…
私の氏子でもあります下ノ氷川神社(志木市下宗岡)に行ってきました。場所は志木市下宗岡と朝霞市内間木の境界に位置しています。(正しくは市境です。)
下ノ氷川神社…観応二(1351)年に上ノ氷川神社(今度紹介します)より分祀したものと言われています。祭神は、素戔嗚尊奇稲田姫命大己貴命が奉られています。
この神社の特徴としては通常多くの社寺は南向き、東向きを向いていますがこの神社は宗岡村(現志木市宗岡地区)の村民を守る為、北を向いています。『引用―志木市教育委員会資料より一部省略、改文』
北は北枕北向くなど忌み語として扱われることが多く北向きに置かれている神社仏閣は珍しい物になっています。
他にも新田稲荷大神八坂神社護国神社(日露〜大東亜戦争における氏子の戦没者)、水天宮疱瘡社が奉られていました。
造りはあくまで個人の見解ですが、住吉造と言われている造りに似ていますが正面入口が観音開きではなく引き戸である事など各箇所に細かい違いがありました。
昭和61年に立て替えがなされたのでその当時の資料が入手できれば発表したいと思います。