郷土史研究−調査限界編1

どうも鯉の子です。

さて本日は郷土史にならないモノ』と言う事でございまして、なぜその建造物が郷土史研究発表できないのかといいますと、まず一つに『確証高い資料・証言が乏しい』と言う点。これが思ったより厄介でして、資料や口伝が無ければそのモノがどうして出来たのか?なぜココにあるのか?と言う情報が寸断されている状態なので、レポートにまとめられない状況下にある訳です。
二つ目に『資料が個人蔵となっており、情報が一般公開されていない』と言う点。これも厄介でして、特に蔵や書物庫を豊富に持つ家々がある市町村に多く見られます。志木市も例外ではなく、志木地区は『引又河岸』2012-02-28)で栄えた分、蔵を多く所有している所が多く、また宗岡地区は『水塚』2011-05-17)などに所蔵して一般に公開していない書物が多くあります。今後その様な重要書類が発見されたら歴史がひっくり返るような大事件も起きるかも知れません。
と言う訳で第一回目は、羽根倉揚水場です。

羽根倉揚水場

この揚水場は、昭和11年11月に竣工した揚水場である。機能としては、荒川から河川水を揚水し樋を用いて宗岡地区の田畑に水を与えて続けています。
繁農期には、揚水ポンプを設置する部分に小屋を組み風雨・金属盗難から揚水ポンプを守ります。また枯農期には小屋・ポンプを外し、コンクリートの土台部分を残します。
ここに揚水場があるのは、大正7年から昭和22年まで行われた『荒川改修事業』によって荒川のギリギリに点在していた民家数10戸を堤内に移動し、それによって荒川堤防外が何もない状態になった。そこで荒川堤外に田畑を作る事により、荒地をなくし荒川の洪水が運ぶ『エグミ』の獲得が容易に出来るとの事で揚水場を建設したのではないのだろうか…

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以上です。もはや最後は『〜だろうか』でしたからね…もうお恥ずかしい限りです。
郷土史にあるモノをいかに確証高い郷土史として取り上げるのが私の使命だと思ったのですが、これほど資料が無いのも大変です。まぁ写真は撮れば探せば出るんですがね…
まぁ写真もひどいひどい…雪が降った日の写真ですよ…相当数経とうとしてますがね、探せど探せど見つからん訳ですよ。まぁ唯一出てきたのが羽根倉揚水場の建設風景の写真1枚でした。