郷土史研究36

どうも荒川鯉師です。
あの誤字脱字誤改行が激しいでお馴染みの巷でお馴染みの東方求聞口授のP172に掲載されている『文々。新聞』第百二十六季 文月の一で掲載された『四猿ちゃん』の記事の中に庚申の日について触れられていますが、埼玉県だけのローカル信仰だと思っていましたが、全国共通信仰みたいですね。いやはやまさに井の中の蛙状態ですわ。
と言う訳で今回は志木市域での庚申講が行われていた『行屋稲荷』をご紹介いたします。それではどうぞ。

行屋稲荷の庚申塔



この庚申塔は、庚申講と言う庚申待を行う信仰集団によって建てられたものである。
庚申待とは、『三尸』(さんし)と言う虫が庚申(かのえさる)の晩に限り、人が眠るのを待って体から脱け出し、天帝にその人が犯した罪を告げる為、その三尸が脱け出さない様に、夜を徹して身を慎むと言った行事。



庚申塔は、1648年(正保五年)に造営されたもので、近世の石仏・石神の中では市内で最も古く、六面に六地蔵を配しており地蔵信仰と庚申信仰が一緒になった日本でも珍しい『六面単制石幢』である。


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と言う事ですが、まぁ二ツ岩大明神まではとはいきませんが、数多くの鳥居を保有しています。それほど信仰が厚いと言う事なんですね。
庚申講は一部の地域を残して年々数を減らしているようですが、いつの日かはなくなってしまうのかもしれませんね。