久喜の水塚と志木の水塚

どうも荒川鯉師です。
小学四年生の時にその魅力にはまった『水塚』の存在ですが、本日の読売新聞に久喜の水塚が紹介されていたので、紹介したいと思います。

読売新聞 2012年10月3日(水)埼玉版

久喜の水塚 移築し公開 あすから洪水の歴史伝える

久喜市伊坂の市栗橋文化会館敷地内に、江戸時代の水防施設で市指定文化財「吉田家水塚」が移築され、4日から一般公開される。1947年のカスリーン台風でも住民らの避難に活用されており、市は「洪水被害や地域の歴史を伝える施設として活用したい」と多くの来場を呼び掛けている。
市によると、水塚は洪水に備えて盛り土した高台などに建物を築き、食料の備蓄や避難ができるようにした施設。吉田家水塚は、利根川沿いに栄えた旧日光街道の「栗橋宿」にあったが、国の利根川堤防強化事業の区域に入ったことから解体され、約1.5キロ先の同会館敷地で復元された。
同水塚は、2棟の蔵と高さ2メートルの石垣などからなる。市内に唯一残る商家の水塚。市は移築にあたり、土壁をしっくいにするなど一部で改修を加えたが、蔵の造りや瓦屋根、石垣などはほぼそのまま。内部には、カスリーン台風による被害や地域の歴史などを紹介する写真パネル約30点を展示した。

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久喜の水塚は『みつか』と発音する様ですね。これは、埼玉県東部に多い言い方なので久喜も当てはまります。志木市を含む埼玉県南部荒川流域は『みづか』と発します。しかし赤羽などの東京都23区北部は『みずつか・みづつか』と発します。因みに『水塚』は宗岡村(志木市宗岡地区)の方言と扱われています。(出典:日本国語大辞典、水塚の文化誌)
久喜と志木の大きな違いは文化財指定』と言う点である。久喜水塚は市指定文化財として手厚く保存されているのに対し、宗岡水塚は『民俗資料』止まりである。1986年に志木市で調査した『水害と志木』に記載されている水塚現存数は『66基』だったのに対し、2009年のNPO法人エコシティ志木の調査で『48基』にまで減少した。また東日本大震災による被災で解体を余儀なくされた水塚が多くあり、この数字よりも多くの水塚が消滅しました。
志木市宗岡地区の水塚を『市指定文化財保存地区』に指定するべきだと私は思います。


※写真は志木市の水塚です。