安讃備紀行24
どうも荒川鯉師です。
岡山県を旅行した中で、数少ない神社以外の場所の一つであります『旧閑谷学校』の敷地内を紹介致します。
それではどうぞ。
旧閑谷学校の各構造物
校門
聖廟(後述)の正門として建てられたもので、閑谷学校の校門でもある。
中国最古の詩集である「詩経」の中の詩に因んで鶴鳴門とも呼ばれている。
両脇に花頭窓のある付属屋をつけるなど、中国の建築様式を模しており、1686(貞享三)年の造営である。
閑谷神社
閑谷学校の創設者である岡山藩主池田光政公を祀る為に1686(貞享三)年に建てられたもので、もとは光政の諡に因んで芳烈祠または、西の聖廟に対して東御堂といわれた。
1875(明治八)年に神社格付けされ閑谷神社と改称した。
本殿内に1704(宝永元)年に鋳造された光政の金銅製座像が安置されている。
石塀
校門の左右から出て、閑谷学校の施設を全て囲み、全長765mにも及んでいる。
河内屋治兵衛を棟梁とする石工集団によって築かれたもので「切込接式」の工法が用いられており、1701(元禄十四)年に完成した。
内部には洗浄した割栗石を詰めて排水を助けており、300年を経て今も毅然たる姿うたたえている。
習芸斎
毎月朔日には朱文公学規の講話がなされ、近隣の百姓の聴講も許された。
三・八の日には五経などの講釈が行われた。
床に用いられている材は栂で、天井は張られておらず太い自然木が見える野天井である。
飲室
生徒の休憩室で、湯茶を喫する事が出来た。
中央の炉の縁には「斯爐中炭火之外不許薪火」と彫り込まれており、火の使用に厳重な注意がはられていた。
土間の片側にある竹の簀の下には石づくりの流しが配されている。
文庫
学校の図書を納めた収蔵庫で、生徒には望み次第、貸与されていた。
土蔵造りで屋根は置屋根、前室には土の戸が三重に造られており、防火、防犯に万全を期している。
小斎
岡山藩主が学校を訪れた時に使用される建物。
公門
藩主臨学の際に使用した門で、御成門とも言う。
本柱の後ろに控柱二本を建てて切妻屋根にのせる薬師門様式の建物で、石塀が築かれた1701(元禄十四)年の時点で設置された。