郷土史研究7

どうも鯉の子です。
チルノとの対戦時に使用したスペカで『大六天杉のcurse』と何とも痛い痛いお話をしましたが下記に説明した文章と伝承古文に残されている文章が一部違ってきているので今回は古文に残されている伝承+地域住民のお話を要約せず紹介します。

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ある時、大六天の祠守りをしていた治左衛門と杢兵衛は、境内の杉の木を売って小遣いにしようときこりと3人でその1本にノコギリを入れたが、3人は急に体が震えだして寝込んでしまった。そこでたたりを恐れた2人は薬師堂の僧円瑞に杉の木を伐ることを頼んだが、円瑞も同様に寝込んでしまったことからその後は誰も手をつけぬまま何年もたった後、橋の架け替えの用材にこの杉を使うことになった。たたりのことを伝え聞く人々は、神官のお祓いを済ませて伐り始めたが、やはりけが人が出たりして、遂にこの杉は切れぬままに終わった。しかし第二次大戦中のこと、この近くに住む外国人が杉の木を伐り、燃料にしてしまったそうだが、戦後その外国人は帰国のための航路の途中で沈没事故にあい、海の藻屑と消えてしまったという。この話を聞いた人々は、これこそ杉の木のたたりに違いないと噂し合ったということである。

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所々ですが違ってますねぇ〜なぜでしょう?
「伝承は時として風説となり。」
と言う言葉がありますがわたし的には全部正解ではないのかな?と。ある人は「米軍が木を伐って沈没した。」と聞き、またある人は「近所の外人さんが木を伐って亡くなった。」と聞いた。しかしその中にも共通点と言うものがあり、『外国人・第二次世界大戦後・杉の木を燃料として使用・海にて沈没。』が挙げられる。またその共通点を無理やり繋げて行くと、実は幸町1丁目にて第二次大戦中、米軍が時限爆弾を投下し死者が出た。と言う事実がある。
戦争→米軍(外国人)が住民を殺した→終戦(敗戦)→それでも米軍(外国人)を呪ってでも殺したい→大六天社伝説→外国人が持って帰った(※事実かは不明。)→海の藻屑となって死亡→無念が晴れた→今日の伝説。となっていてもおかしくはありません。
この大六天伝説はまだまだ研究途中の途中経過発表みたいなものですがどうかご勘弁を。なんせ相手は祟りなんですから。でも戦後の話なんですからまだ65年しか経っていない伝説なんですよ。最も事実に近い伝説なんですから。
でもこう言う伝承は苦手と言うか確証が持てないって言うか…ブログに載せるのも相当悩むのですがまぁ今回は載せました。なので(⑥)とさせていただきました。ではまた。