郷土史研究11

どうも鯉の子です。
郷土史研究も第10回目を向えましたがネタと言うネタは集まっていますがなんとも公表するのに文章を校正に校正を重ねて短文にしないといけないのでどうしても時間がかかってしまうんですよねぇ〜それでは参りましょう。
-宗岡潜管-
『そもそもは江戸時代に現東京都立川市玉川上水を分水し現埼玉県新座市志木市を流れる野火止用水を農業用水として宗岡地区に流す為、全長260mの水路橋を架橋した。この水路橋をいろは樋と言いますが今回はその後の話になります。
そのいろは樋は木製の懸け樋の為、洪水の度に壊れまた修理に使う巨木の資材も次第に無くなっていった為、木樋から地下埋設型の鉄管へ移行がなされました。全長272mにも及ぶ潜管設置工事がなされ総工事費は約17,000円掛かりました。
その後も新河岸川の改修工事に伴う再改修や鉄管の不足分としてRC土管柱を設置したりと昭和5年3月31日に完成しました。
しかし昭和40年に野火止用水が下水道としての機能に移りその役目を終えました。』
なお写真のモノは、
上…志木市本町側にある大枡と呼ばれる遺構物。
下…志木市宗岡側にある受水大枡と潜管の一部。
なお江戸時代の大枡は木製で、写真の大枡は宗岡潜管の大枡でいろは樋の大枡ではないのであしからず…。