郷土史研究16

どうも鯉の子です。
今回の産財氷川神社(中ノ氷川神社)を最後に宗岡地区の氷川神社は全て終了になります。次回からは志木地区も重点的に調査していきたいと思いますのでどうぞ宜しく。とは言っても時間と言うものが無くて無くて…このペースで行った場合、相当な時間がかかると思われます。まぁ郷土史研究ですからね。完成はありませんよ…歴史が動いている限りは…。
さてけーね先生が食べて無かった事にされない内に書き留めておきましょうか。ではどうぞ。
産財氷川神社(中ノ氷川神社
『中ノ氷川神社は永享年間(1429〜1441年)に大宮の氷川神社分祀したものです。祭神は本社と同じで、須佐之男命、稲田姫命大己貴命。当社の拝殿に位置する覆屋内にある本殿の造営年代は不明ですが、書物、伝承などにより「明治2年に着工し、明治14年に完成した。」と言われています。また本殿石積み基壇部に「明治12年11月立建之 當村石工大嶋信正」との銘があるので、この頃建立されたものと考えられます。
本殿は一間社流造りで、資材はケヤキが使われています。この本殿の椽(えん)を支える腰組と呼ばれる椽を支える部分は禅宗建築の手法に多く見られ、浜椽(向拝の階段の下にある床)は、賑やかな構成となっているなど、建築に工夫が施され、他の神社にはあまり類例が無く、また鯉の滝登りや、登り龍、下り龍等の彫刻も随所に見られ、意匠的に優れた貴重な建造物です。
また神社の横には明治5年に築造した御岳山塚があり志木市域における御岳信仰の拠点になっております。』
さてこれで、上ノ氷川神社中ノ氷川神社下ノ氷川神社の宗岡村三大村社の紹介が終わりましたが…下ノ氷川神社から始まってもう半年近くなってしまってますよ…長い事のばしましたなぁ。