諏訪紀行6

どうも鯉の子です。
着々と最終回に近づいておりますが、私としては諏訪紀行2-1的なモノを始めようかと…まぁ要するに番外編ですね。載せるか載せないか迷ったものを第2章と言う事で行いたいと思います。
さて今回は諏訪大社上社前宮と上社本宮の丁度中間点にあります『神長官 守矢史料館』を紹介いたします。
※なお写真内において御頭祭を再現した資料展示を載せてあります。動物の串刺し、首のみ(剥製やプラ)などがあるのでそのようなモノが駄目な方は見ないで下さい。鯉の子

守矢史料館

守矢史料館は、鎌倉時代より守矢家で伝えてきた守矢文書を保管・公開する史料館です。守矢家は中世より諏訪神社上社の神官の一つである「神長官(じんちょうかん)」を明治時代まで勤めてきた家柄です。守矢史料館は守矢家の敷地内に建っております。

  • 収蔵史料

守矢文書は、県宝155点・茅野市指定文化財50点を含む総点数1618点の古文書です。諏訪神社の祭礼に関する古文書がほとんどですが、中には中世の信濃国の状況を克明に記録したものがあり、当時の状況を語る上で唯一の史料といってもいいでしょう。中世の古文書でもっとも多い史料として武田信玄の書状があり、長野県だけではなく山梨県にも欠くことのできない史料です。

  • ロビー展示

諏訪神社上社において、御柱祭と並んで重要な祭礼である『御頭祭』の復元展示を行っています。「御頭祭」は旧暦3月の酉の日に行われていたので、別名『酉の祭り』ともいわれています。現在の御頭祭は4月15日に、上社前宮(茅野市)で行われている祭礼で、中世においては信濃各地の豪族に当番が割り当てられて執行されていました。展示の元になった資料は、江戸後期に日本各地を回り、珍しいことを記録した菅江真澄のスケッチです。古来からの諏訪神社の祭礼の形態を考える上で非常に貴重な展示といえるでしょう。

  • 常設展示室

常設展示室では、武田信玄の古文書を中心に展示しています。基本的な展示テーマは「鉄鐸」で、鉄鐸関係の古文書と、守矢家に伝わる鉄鐸を展示しています。その他、「鹿食免」のお札や、平成2年に守矢史料館建設に伴い発掘調査を行った状況や出土遺物を展示しています。

  • 建物

守矢史料館は平成3年に開館し、建物の基本設計は藤森照信氏(建築史家・建築家、博士)が行いました。藤森氏は諏訪の建造物の特徴や中世の信仰のイメージを取り入れつつ、新たな発想の史料館を建築しました。構造は鉄筋コンクリートの上に、壁体部分においては内外とも特別調合の壁土を塗り、床面は同様のタタキとし、さらに一部壁土の上にはさわら材手割り板をかぶせています。また、屋根には地元の「鉄平石」といわれる平石と天然スレートをのせています。正面入口の庇を貫く4本柱は地元産のイチイの樹を使っています。

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史料館の学芸員?の方だろうか、館内の事務所から出てきて展示資料を細かく教えていただきました。
「御頭祭では本来、儀式に鹿75頭と、ウサギ、猪など、狩りの獲物が使われたのだが、現在では殆ど不可能なので剥製を使用している。また鹿の脳漿と肉を和えたものを脳和(のうあえだったっけ?ごめんなさい忘れました)、生鹿、生ウサギの肉をお供えします。
諏訪の七不思議の一つに左側の耳が裂けている『耳裂鹿』と呼ばれる特殊な鹿が1/75の中に必ず捕らえられていました。これは、神の矛にかかった鹿とみなされて特別に崇められた。
この館内の外には、ミシャグジを祀る社があります。」
と言った中に、
「最近では、なんかのゲームでここら一帯がモチーフになったらしくて聖地巡礼と称して絵馬などにスゴイ絵を描いていく人がいるんだよね。なんか神社に来る目的がちょっと変わってきたなぁ。」
…(「すいません。私もです。」)と思いつつも「はぁ〜そうなんですか。」としらばくれてしまいました。ごめんなさい。