三億円事件と人権侵害

どうも鯉の子です。
今日は、東京都府中市で発生した三億円事件発生及び時効を迎えた日』ですが、ここで発生した事件とメデイアが隠したい人権侵害を紹介いたしましょう。
1968年(昭和43年)12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店から東京芝浦電気府中工場(現在の東芝へ、工場従業員のボーナス約3億円分が入った現金輸送車が、府中刑務所裏の通りに差し掛かった。そこへ警官に変装して擬装白バイに乗った犯人が、輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って銀行員を輸送車から降ろさせた。犯人は、輸送車の車体下に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と銀行員を避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時銀行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、バイクに詳しい銀行員が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件が早くも判明した。
1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった事件(文章参考:Wikipediaですが実は、そんな事件の裏には警察の捜査ミスとメディアによる人権侵害が引き起こされていました。
この侵害事件は、三億円事件時に運転していた運転手が被害者である。この方が容疑者として浮上した理由は、住まいや過去の運転手の仕事から各現場の地理に精通していること、血液型が脅迫状の切手と同じB型、タイプライターを使う能力を持っていること、友人に送った手紙が犯行声明文と文章心理が似ていること、モンタージュ写真の男と酷似していることからである。しかし、脅迫状の筆跡が異なっており、金回りに変化がないことから、警察は慎重に捜査をすることとしていた。
ところが発生から1年後の1969年12月12日に毎日新聞本人の顔と本名をモンタージュ写真にこの方の顔を合成するなどして犯人視する暴動報道を展開。このため警察が逃亡を防ぐとの名目で別件逮捕。新聞各社も『容疑者聴取へ』などと実名入りで書き立てた。ところが本人が事件当日に面接を受けていたアリバイが報道を見た会社担当者からの連絡で証明され、完全なシロとして釈放された。
しかし警察に容疑者として逮捕されただけでなく新聞各社が犯人扱いで学歴、職歴、性格、家庭環境まで事細かく暴露された。このため本人は職を失い一家は離散。さらにその後も真犯人の見つからない中で三億円事件の容疑者として逮捕された』との世間の偏見と事件に関するコメントを執拗に求めるマスコミ関係者に悩まされ職を転々とし、2008年9月にノイローゼにより自殺した。(遠隔殺害された)

その後毎日新聞は、1969年12月15日の朝刊で三億円事件の反省』という記事を載せ釈明を行ったが、これは、報道による人権侵害(報道被害)の極例であり、各メディアも再発防止や現代にかけて復活しつつある過剰報道を見直さなければならない事を再認識して欲しい。
『知る権利』を履き違えて報道する報道局はもはや『公共の風評・流言放送局』と言われても仕方なく、今警視庁が潰しに掛っている2ちゃんねると同等か、それ以下であると言わざるを得ない今日の報道態勢にはうんざりしています。