第二回諏訪紀行-4

どうも鯉の子です。
さて今日は、昨日予定していた通り『宮川長峰木落坂』もとい茅野市宮川木落し公園』御柱・木落としについて紹介したいと思います。

木落しと御柱

そもそも御柱は、日本書紀に記述があるもので出雲のオオクニヌシ高天原から降った『ニニギ』に国譲りを承諾したとき、ただ一人反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなった。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許される。その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っている。地鎮祭の神話的表現とも考えられる。
御柱祭平安時代以来から続く日本で1・2の歴史を持つお祭りで、6年に一度、諏訪大社の上社本宮・前宮と下社春宮・秋宮の4つの社殿の柱を立て替えるため、長さ約17m、重さ約13tもあるモミの木16本を山から切り出し、上社は約20km、下社は約10kmもの道筋を2ヶ月にわたって曳行します。
途中、下社の『木落とし』が最大の見せ場で、最大斜度40度の斜面を弾き飛ばされながら滑り下りる命がけの作業で、救急車が待機しており、実際亡くなる人もいます。上社の『川越し』は、零度に近い川を渡る事もあります。
その後神社まで曳航する『里曳祭』は、騎馬行列などが華麗に繰り広げられます。御柱祭が開催されるのは干支が寅と申の年なので6年毎なのですが、行われた年を1と数える『数え年』『7年目毎』と言われて来たため、『満7年に一度』と勘違いされがちなんだそうです。
中でも最大の見せ場『木落し』では下社と上社とでは趣が異なっており氏子を『めどてこ』と言われるV字になった部分に氏子を乗せたまま、上社では御柱を傾斜約30度、距離80mの木落し坂から落とし、下社では御柱を最大斜度35度、距離100mから落とす。上社ではいかにめどてこが綺麗に落とせるかという『美しさ』が重要で、下社では追いかけ綱を切り下り坂を一気に下り下りる為『勇壮盛大』と言える。また最も危険な行事であり、過去に幾人もの死傷者を出してきたのも事実である。
木落しが行われる会場は観衆によって埋め尽くされる。それは諏訪大社を信仰する多くの氏子の他に、長野オリンピックで建御柱を披露した為、その壮大な祭りを見ようと全国からたくさんの観光客が来る事も要因の一つである。
上社の木落しは、茅野市宮川木落し公園』で行われており、以前に比べ見学しやすくなっています。下社の木落しは、下諏訪町の国道142号沿い、萩倉地区への入り口で行われる。
また全国的に有名になったのは良いものの、この地区ではない余所者が滑り落ちる御柱祭を奪うように上に飛び乗りしがみつく。地元の氏子達の間では御柱祭壊し』と言われており、対策に頭を痛めるのが実情である。まぁ余所者は、おとなしく見学しましょうよ。
ココからは個人見解だが、あの『めどてこ』(V字)を見ると『千木』に見えるんですよね。しかも風を切って坂を下ると言う意味では、この千木が意味を出てくるんです。まぁめどてこは、外削ぎ・内削ぎになっていませんが、個人としては今現在、調査中です。


 
 

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まぁこれを持ちまして今年の『鯉の子の暇な日々』ブログは終了となります。今年は、1月にタイガーマスク伊達直人)運動』があり、東日本大震災』『長野県北部地震』『台風』など自然災害に遭いました。また『地上アナログ放送』が一部県を残し地上デジタル放送』が開始されました。他にも金正日死去』『東方神霊廟発布』など何かと忙しい2011年だったと思います。それではまた2012年で会いましょう。
今年一年この様なブログをご覧いただきありがとうございました。来年も宜しくお願いいたします。鯉の子