新潟・佐渡紀行6

どうも鯉の子です。
佐渡金山を後にした一行は下山を試みたが、その途中でなにやら意味深な神社を発見。退避路に駐車をしてその神社を捜索。
そう言う訳で今回は正一位稲荷大明神『関東稲荷』です。それではどうぞ。

関東稲荷

この稲荷のご神体は、元々関東の字久安と言う処に安置されていたが、江戸の元禄時代には京都三条通四丁目にあった茶屋で、稲荷屋勘太夫と言う者の家に移されていた。
ところが1669年(元禄二年)佐渡雑太郎相川五郎右衛門町に住んでいた弥右衛門と言う者が、正月のある夜稲荷の霊夢を見、「京都から佐州(佐渡)の関東と言う処に遷座する様に」とのお告げを受けた。
弥右衛門は早速京都へ赴き、稲荷屋勘太夫に会いその旨を説明した所、太夫も同じ霊夢をみていた事が分かり御神霊を引き渡す事となった。この事は時の京都奉行前田安芸守を通じて朝廷の知るところとなり、ご詮議の結果今後はこの稲荷を勅許稲荷と称する事をお命じになられ、また弥右衛門には『関東弥右衛門輔』と言う官位が授けられた。
弥右衛門は同年二年すぐさま御神霊と京都奉行の御添簡を携えて佐渡に戻り、佐渡奉行鈴木三郎九郎に報告すると共にこの地に神社を造営して、元禄二年二月二三日正式に関東稲荷としてお祀り申し上げたとされている。
なお、この稲荷神社の中の木板には、関東弥右衛門輔に係わる詳しい由緒書が残されている。

※…ここで出てくる霊夢とは、『夢に出た霊・御神体・神霊』の事であり、決して博麗霊夢嬢の事ではございません。もし仮に博麗霊夢嬢だったらこの伝承はまた違ったお話になってしまいます。確かに正月の夜に腋を出した紅白少女巫女が出てくれば誰だって行動に移してしまいますよ。

                                              • -

『新潟・佐渡紀行』は終わりに向け着々と進行していますが、やはり『朱鷺』に会いに行けなかった事が唯一の悔いとなっていますね。まさに航海記ならぬ後悔記となっていますね。