出雲御国紀行6

どうも荒川鯉師です。
さて、1日跨ぎとなりましたが引き続き出雲御国紀行となりますので宜しく。それでは今回は『日御碕神社』を紹介致します。

日御碕神社

国幣小社(現、別表神社)であり、出雲国風土記記載の美佐岐社、延喜式神名帳の御碕神社が充てられる。当社は上下二社に分かれ、上の宮を神の宮、下の宮を日沈宮と称す。神の宮は素盞鳴尊主祭神とし三柱の神を配祀する。社伝によれば、素盞鳴尊は出雲の国造後熊成峯に登り、鎮まる地を求め柏葉を風で占うと隠ケ丘に止まり、そこで御子天葺根命は御魂をその地で奉斎したという。隠ケ丘は社殿の裏側にある。日沈宮はもと文(経)島に鎮座した。天葺根命が文島にいた時、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりという。
安寧天皇一三年勅命によって百枝松を神木として祀り、開化天皇二年勅命により神殿を造営し、天暦二年(九四八)現在地に遷座したという。鎌倉時代以降幕府の崇敬篤く、社殿の修造、戦国時代領主堀尾氏の七八○石余の寄進、江戸幕府の六○○石の朱印領安堵と社運盛んであった。神事・宝物が多く伝わり、春祭は神の宮、秋祭は日沈の宮中心の形態をとる。祭神は出雲大神の父神に当り、出雲大社奥の院・親神として、また伊勢神宮は昼を、当社は夜を守る神との信仰がある。

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と言う訳で、日御碕神社を巡った後は『稲佐浜』へ向いました。この稲佐浜は天孫降臨に先駆けて、天神の御使いとして建御雷神が、この稲佐浜に降臨し大国主神と国譲りの交渉をした場所である。この浜にポツンと大きな岩がありますが、これは建御雷神と争った建御名方命の投げた石であり、現在では弁天島として石には弁天神が祀られている。