紀伊半島巡拝紀行8

どうも荒川鯉師です。
ただいま岩手県から帰ってきまして、1年と言う月日で物事は変わるもので、瓦礫の山は無くなり、被災家屋は更地にかわり・・・しかし変わらないものは、現地の方の温かい心であると感じました。
いよいよ内宮と外宮を紹介致します。こちらも鳥居のみの紹介となります。それではどうぞ。

豊受大神宮

外宮の正宮。外宮と一般的に呼ばれるが、豊受大神宮が正式名称である。昔は度会宮とも呼ばれていた。
神宮では様々な祭典が一年を通して執り行われるが、その中でも最も重要な神嘗祭の「大御饌供進」も外宮から先に行われる。
正式には「豊受大神宮」と呼び、皇大神宮を「本宮」と呼ぶのだが、それぞれ「外宮」「内宮」と呼ばれる事の方が多い。

皇大神宮

正宮であるこの宮は通称「内宮」と呼ばれているが、正式には「皇大神宮」という。
日本書紀」720(養老4)年の文中には「崇神天皇6年、天皇大殿の内裏に祀られていた天照大神を豊鍬入姫命に代わり、倭姫命天照大神を祀るようになる」と記述されている。

猿田彦神社

御祭神に猿田彦大神を祀る。
天孫降臨を啓行された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊を案内した後、天宇受売命と一緒に本拠地である「伊勢の狭長田五十鈴川の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
神宮において代々「玉串大内人」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしています。



参考資料

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荒川鯉師