紀伊半島巡拝紀行7

どうも荒川鯉師です。
どういったご縁なのか。私はまた岩手県へ出向いています。震災発生年の夏に赴いてから、3年の冬には復興支援で一週間お世話になり、そして今回も復興支援の一環で向かっています。これもまた神様の導きであると、思います。
さて本題の紀行ですが、テレビなどでも多く紹介されていますが再度確認。
伊勢神宮とは、内宮と外宮のみでは無くその周囲にある125社全てを含めた総称を「伊勢神宮」と言う。
それでは今回は…125社は参拝できませんでしたが、出来る限り多くを巡拝させていただきました。それではどうぞ。

月読宮

内宮の別宮であるこの宮は、通称「月読四宮」と呼ばれる敷地内の向って右側から2つ目の宮である。
この4つの並び建つ宮では、まずはじめにこの宮からお参りするのが順序と言われている。
月を読むという神名から暦注の神になったが、存在そのものが実に不安定である。古事記では伊邪那岐命の右目から生まれ、日本書紀では左目から生まれたり、左手に持った白銅から生まれたりと謎多き月神である。

倭姫宮

内宮の別宮であるこの神社は、伊勢神宮125社の中で最も新しいお宮である。
天照大神の御杖代となり伊勢神宮を創建したという輝かしい功績があるのにも関わらず、お宮が存在しない為に崇拝する事が出来ないと言う声が明治末期頃より地元の人々からあがり、1923(大正12)年に別宮として創建された経緯を持つ。

二見興玉神社

御祭神を猿田彦大神と宇迦御魂大神を祀る。
夫婦岩の沖合い700m程の沖合いに沈む猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。
夫婦岩天照大神興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。
この神社にも天岩戸があり、連日多くの参拝客で賑わっている。

瀧原宮

真奈胡神の案内で訪れた倭姫命が、その風景の美しさに打たれ新宮を築いたといわれている。手水舎はなく、谷川の清流で手と口を清めて参拝するのが慣例である。
天照大神が祀られている皇大神宮から最も離れた場所にある別宮である。鬱蒼と生い茂る樹木の間道を進むと「大神の遥宮」と呼ばれているこの宮がある。






参考資料

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荒川鯉師