あぁみょんな事を…

どうも鯉の子です。
今日突然みょんな事を考えたのですが、なぜ女性同士の恋愛の事を百合と言うのでしょうか?まぁみょんな事を考え続けても頭がどうかしてしまいそうなので、近所の図書館に行って調べてみる事にしてみました。そこの本にはこの様な事が書かれていました。
百合とは女性同性愛の事を指すのですがでは、何処から派生した言葉なのか?それは日本初のゲイ雑誌『薔薇族』の創刊者・編集長である伊藤 文學(いとう ぶんがく)が創り出した言葉としているのが有力説である。またこの方は男性同性愛の俗語である『薔薇族』と言う言葉を生み出した方でもある。ではなぜ男性を『薔薇族』、女性を『百合族』と提唱したのか。男性同性愛はギリシャ神話において『男同士の愛の場所は薔薇の木の下だった』と言う一文が残されており、そこから伊藤は『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』と言う日本に伝わる「美しい女性像」としての言葉の中にある真っ赤な薔薇とは対照的な真っ白な百合の花を充てたのではないかと言われている。
現代において女性同性愛の俗称として『エス、御神酒徳利、サッフィズム、スール、お姉様、くだもの』と言われているが、中の御神酒徳利はもはや死語である。
社会学者の熊田一雄は、同性愛系の本を好む男女について、こう述べている。
やおいボーイズラブと呼ばれる男性同性愛を扱った作品を好む女性は「自身の女性性との葛藤」ゆえにそういった作品を愛好しているのだという分析をもとに、それと同様のことが百合ものを好む男性にもいえるのではないか、すなわち彼らは「自身の男性性との葛藤」を抱え込んでしまっているがゆえに男性という記号からの逃避場所として百合ものを愛好しているのではないかと予測している。ここでいう男性性の葛藤とは「女性を一方的・特権的に値踏みする視線の主体」としての男性性であり、女性同士の同性愛という作品世界に没入することによって「対等な性」に近づこうとしていると考えられる。また、百合を愛好する男性はしばしば作中人物に同一化する気持ちで作品を鑑賞していることから、作品外部から作品内部の女性キャラクターに対して「一方的に値踏みする視線」を送っているにすぎないわけではないという。
て言う事を今日の午前中フルに使って調べて見ましたが…なんか無駄にした様な、してない様な…まぁ他にも同性愛の性行為における説明文までありましたがなんか貧血っぽい症状が出たので退散しました。あぁまだ頭痛い…南方仁先生みたいに人型の肉芽種があんのかな?あぁ痛い…