郷土史研究15

どうも鯉の子です。
最近思う事が、あるのですがどうもこの郷土史研究調査=秘封倶楽部の活動じゃね!?と。この前大宮に友人と行った時は「折角門前町に来たんだから」と言う事で神社仏閣をめぐり、名無しの神社(狐様?) に出会ったりとさまざまありましたが、今回は地元志木市の神社について紹介します。
宿氷川神社(上ノ氷川神社)
『この神社の創建は1078年(承暦2)、隣にある千光寺住職、権大僧都善海(ごんだいそうずそうずぜんかい)が大宮にある武蔵国一ノ宮神社を分祀されたと言われています。創建後は千光寺の管理下に置かれ、宗岡の産土神として信仰されています。
本殿の建立の時期は明らかになっていませんが、明治期に行われた神仏分離に伴う社格定制で村社に指定され、その後昭和8年2月に拝殿、幣殿、覆殿を新築し昭和18年3月に新饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうきょうしんじんじゃ)に指定されました。
最近の調査でこれまで伝承とされていた事として、1351年(観応2年)9月に当社にあった茶臼を上下に分け、下ノ氷川神社(現志木市下宗岡)に分祀しこれが下ノ氷川神社の始まりと言われており、実際に発掘調査した所実際に出土した為伝承ではなく、実話となります。
またこの神社の内部に倉稲魂命を祀った稲荷社もあります。』
宗岡の神社仏閣を1つ調べても姿形、建築工法から使用材料がまったく違うもので、志木市柏町にある宝幢寺の装飾を見てもそれはそれは見事なもので圧巻です。近い内公表しますが、中ノ氷川神社も鯉の滝登りの彫刻などこちらも負けていません。
土着神も産土神も地域の氏子がおり、信仰が厚いとそれだけ勢力を増すものです。その代表例が諏訪大社でミシャクジ様は土着神ですが今や小規模ながら、数100名ほどの信者がおり世界的に信仰が増え続けています。(東方project的ではないですよぉとあまり否定が出来ない自分がいる)
あぁ諏訪大社いきたーーーーーーーーーい!!夏休み辺り行こうかな。では乞うご期待!