諏訪紀行番外編3(最終回)

どうも鯉の子です。
今回を持って諏訪紀行番外編が最終回を迎えてしまいました。まぁ友人に諏訪探訪の話をしたら行きたがっているので、もしかしたら今年中か来年中にも行く事になるかも知れません。そしたら丁度御神渡りが出来た時に行きたいですよね。でも御神渡りっていつ出来るか分からないんですよ。まぁ神の気紛れとはこの事ですな。
さて本題に入りますが、今回は神長官守矢史料館〜諏訪大社上社本宮の間を歩いた人なら一度は目に付いたはず。そうそこにはまるで岸壁に張り付いたかのような階段がそびえたっていました。

北斗神社

前記にも説明しましたが、この神社がある所は丁度神長官守矢史料館〜諏訪大社上社本宮の間にありまして、存在感を存分にアピールしております。
さてそもそもこの北斗神社は、寿命の神様である天御中主命北極星)』が祀られています。祭主は、この階段の直線状にある家主である祢宜太夫と言う方です。またこの祢宜太夫物部安貞とも守屋祢宜太夫とも言われており、諏訪大社上社の神官の1人だったとも言われていますが詳しい事は分かっていません。なお当然の通り、この神社は真北を向いており、社の周りには御柱が建っています。どうやら祢宜太夫諏訪大社に関わっていたと言う事が確認できます。
なお、本殿は文政8(1825)年に白鳥弥四郎が手がけました。現在では、社殿は鉄格子の扉でさらに内部は網で囲まれ、その中に本殿があると言った覆屋でした。のぞいて見ると、お供え物だろうか、縄が置いてありました。偶然に(必然か?)お参りに登ってきた近所の方に話を聞く機会がありまして、
「手製の縄を持って参詣し、お礼も縄を持参する風習がある」
との事で、寿命の神様と縄には何か関連性はあるのだろうかと考えましたが結論には達していません。

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いやぁ〜この北斗神社に行くのに登る階段はものすごくきつかったですよ。むしろあれはロッククライミングの練習みたいな感じでしたね…まぁ降りる時はまるで飛んでいるかの様な気分でしたけどね。
そう言えばこの近所に物部守屋神社』って言う所があるらしいのですが、なんか関係性がありそうです。