郷土史研究26

どうも鯉の子です。
さて今回は、調べれば調べるほど謎が謎を呼ぶ宗岡駐在所を紹介します。私が「宗岡駐在所」を調べ始めたのは小学校5年生の総合学習内の郷土調べ学習でした。当時の駐在者が転勤や死去してしまい全くわからないので、当時その土地を貸していた方や私の祖父・祖母、そして近所の駄菓子屋のおばちゃんの記憶と1枚の写真のみの調査でした。志木市役所、朝霞警察署、埼玉県警には宗岡駐在所に関する資料が乏しく、当時小学校5年生だった私には過酷な調査でした。では今わかっている範囲ではありますが、紹介したいと思います。

宗岡駐在所

駐在所が出来た時期などは全くもって不明である。しかし、埼玉県警にある警察年表(?)を見てみると、大正5年 宗岡村・宗岡駐在所と言う記述があるだけである。また当時、朝霞警察署はなく、大和田警察署志木分署と言う今の新座市大和田にあった警察署の分署が志木市のどこかにあったのであると言う事まで分かっている。
駐在所跡地の近くに住む駄菓子屋のおばちゃん(現、故人)の話によると、
「駐在所が設置されたのは、明治のいつごろかで、そこの土地主に場所を借りていた。当時は、ン年に一回お巡りさんが転勤してきていた。私の記憶の範囲では【タナカさん、サトウさん、ヤマシタさん、カンベさん】が転勤して来て、特にヤマシタさんとカンベさんは親子連れで、子供さんが近所にある宗岡小学校と志木中学校へ通っていました。」
その後、カンベ駐在員を最後に宗岡駐在所は消滅してしまいました。これがいつの頃か、どうしてなくなったのか、全く持って不明であり、私の予測では「土地主が返還を求めたのか、志木駅前に移転したのか、もしくは大和田警察署がなくなったので本署と共に消滅したのか」と様々な憶測がなされましたが、その事を知る人物、書物には出会いませんでした。

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と言った所ですが、この宗岡駐在所について知っている方、関わった方などご一報いただけるとありがたいです。まだまだこの郷土史は研究途中ですから…。