太子会と伝承
どうも鯉の子です。
本日は、推古天皇30年旧暦2月22日 豊聡耳神子嬢 聖徳太子のお亡くなりになった日と言われている日でございます。現行暦で行くと622年4月8日ですが、旧暦の方で見ると今日にあたります。
さて、聖徳太子は今日の建築業界に影響を与えた人物としても有名であり、あの差金(曲尺)を発明(中国輸入説等他説有)した人物でもある為、大工の間では『太子講』と言われる民俗宗教が行われるのも今日なんです。
しかしながら、聖徳太子として有名な絵画(下部写真)ですが、最近になって「これは、聖徳太子ではない」と言う説が最有力となっており、今では『伝聖徳太子像』として教科書に載っている所です。丁度私の代に訂正のシールが来まして、私はシャーペンの中筒に貼った記憶がありますね。だから幻想ky(おっと誰か来たようだ
しかも『聖徳太子は存在しなかった』と言う説が急浮上した。その走りが歴史家の『大山誠一』氏でして
と言う『厩戸皇子』の存在は認める一方
- 冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
- 十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
- 小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
- 『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った
と言う『聖徳太子』の存在は否定した。
書籍『「聖徳太子」の誕生』によると(ここからは私が否定したい一文であるが)要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかったと言うのである。聖徳太子は、ヤマトタケルと同様に『日本書紀』が捏造した、単なる神話的存在に過ぎないと言っている。なぜなら、聖徳太子の実在を保証する信頼に足る史料が何もないからだと言う事なのです。
目に見える歴史を考えれば、神も仏もいないと言ってしまえばそこまでなんですが、日本人の深層心理として、日本人の畏怖感情として、残されるべき日本人考えは大切にしていきたいと思う所でお開きと致します。
- 作者: 大山誠一
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