巫女の日

どうも鯉の子です。
どうやら3月5日は巫女の日と言う事で巫女の話を幾つか…
まずは、ちゃんとした巫女から。巫女とは、神社の神に仕える女性の事であり、舞姫や御神子(みかんこ)と呼称され、神の神前で神楽を舞い・祈祷をし、占いや神からの神託を得て他の者に伝えたり、神を自分の体に口寄せし神のご意見を聴くなどをする役割であったが、明治に入ってからは神社の境内で神事の奉仕をしたり、神職を補佐する役割へと変化していった。
堀一郎氏の『我が国民間信仰史の研究』によれば、海外の女性シャーマンも巫女と訳されることが多いが、日本の巫女は『海外のシャーマンの様に、全員が精神的疾患を持っていない』と綴っている他、『神にせせられて』さまようものの、いわゆる憑依の症状をしていないそもそもシャーマンは『口寄せ』をしない。と言う点から日本の巫女と海外の女性シャーマンは別物であるとしている。(まぁはてなキーワードの巫女の内容を完全否定しますね。)
後は、柳田國男 『定本柳田國男集』9巻と中山太郎 日本巫女史3巻を読んで下さい。貴方の巫女に対する考え方がきっと変わるはずです。まぁ私はココからコチラの世界に来た人間なので、神職としての『巫女』と現代文化としての『巫女』は使い分けているつもりです。
あぁそう言えば神社の巫女ってなんで女性しかいないの?あれは男女雇用機会均等法違反だろ。と思う方もいるかと思いますが、実は『巫女』職は均等法の適用外なんですよ。他にも神父や現金輸送車の警備員、女子更衣室・化粧室の清掃員、ホスト・ホステスなどは、適用外なんですよ。
続いては、上記に示した『現代文化』としての『巫女』ですね。まぁセーラームーンからなにやらいやらしい巫女までいますが、安定と本来の巫女の力を見た場合、やはり東方projectの巫女が一番確実視する事が出来ます。東方projectの自機として頂点に立つ博麗霊夢嬢は上記の事をしているのかしていないのか解りかねますが、妖怪(悪霊)を鎮める能力や古来から続く『他人とは違う能力』を有する点においては、巫女と言えます。また、博麗嬢を『ミコ』として呼ぶ場合は、博麗嬢は関西の人間になってしまいますよ。これは、京阪方言で神職をする女性のことを『ミコ』と呼んでいるからなんですね。東京方言で言うなれば『アズサミコ・イチコ』と呼ばなくてはなりません。まぁ東北方言では皆さんご周知の通り『イタコ』と呼びます。まぁ一番古代から続く巫女のあり方を継承しているのが東風谷早苗嬢でして、少なくとも『神降・神懸』を行っている『巫の儀式』をしていると言われる人物ではないかと思います。また、神を崇め祀り、神の神力を借りて神と共にあるカタチが巫女として、また己が現人神として君臨しているのではないのだろうか。(神降の前に一緒に住んでいますがね…)
そんな能力がある巫女がどうして幻想郷に行ってしまったのか?それはZUN氏にしか知りえない事ですが、予想するに明治維新の際に法令化された『巫女禁断令』が影響を受けているのではないのだろうか?法令化に至った経緯として、古来より行われてきた神霊の憑依などによって託宣を得る行為が、宗教統制を行っていた教部省によって全面的に禁止されたのが原因では無いのだろうか?巫女の無力化については柳田國男氏も「明治維新の宗教統制によるものではないか。」と綴っている。巫女の神力低下・無効化を恐れたZUN氏が、巫女本来の力を保持する為に外の世界から、人と妖が暮らす幻想郷とに分けられたのではないのだろうか?その点からすると、幻想郷が明治期に出来たのが納得出来る…ン?そうするとZUN氏は何歳だい!?
さて、最後にはmiko姫でしょうか?もう『姫』と付いている時点で違いますが…まぁ概要としては、ある時は『会社員』、またある時はIOSYSのメンバー、そしてまたある時は『ALBATROSICKS』のメンバーその正体はmikoだぉ。  
以上

定本柳田国男集〈第9巻〉 (1962年)

定本柳田国男集〈第9巻〉 (1962年)

日本巫女史 (中山太郎歴史民俗シリーズ 3)

日本巫女史 (中山太郎歴史民俗シリーズ 3)