郷土史研究34

どうも荒川鯉師です。
新潟・佐渡旅行(2012-04-16参照)を行ったのを期に『タヌキ』の事を『ムジナ』と言っていますが、実は志木市方言全集を読み解くと、実は志木市地方も『タヌキ』の事を『ムジナ』と呼んでいる様で、私からしてみれば共通語→方言に戻ったみたいです。
そんな訳で市内に残る方言『ムジナ』が使われている『むじな橋』です。それではどうぞ。

開化橋(むじな橋)

昔、現在の位置から200mほど北側の深町という所(現在の志木市上宗岡五丁目)に丸太を並べ、土を盛っただけの壊れかかった橋がありました。その下にはムジナ(志木市地方ではムジナ=タヌキの事を指す。)の親子が住み着き、時には作物を荒らすなどの被害が出る事もありましたが、村人たちが温かく見守っていたので、その後も長い間住んでいました。そうした事からいつからともなく村人達は『むじな橋』と言う様になったと伝えられています。
明治31年、むじな橋は、石積み・渡り石を用いた立派なものに架け替えられ、文明開化の時代に相応しく『開化橋』となづけられました。しかし、村人はその後も愛着の深い『むじな橋』と言う名で呼び続け『むじな石橋』と言う人がごく一部いただけで『開化橋』と言う人はいませんでした。
また、むじな橋は村の子供達にとってかけがえのない場所でした。小石で橋をコツコツと叩きながら友達と待ち合わせたり、遊びの相談をしたものでした。そうして長い間にあけられた穴は、今もそのまま残っています。
なおこの橋は、下水道工事に伴って、この場所に復元されたものです。

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志木市内において、石橋と言うものが激減しています。私の調査範囲内で確認されているのは、志木市宗岡にある石橋(2010-12-11郷土史研究3)を確認したのみとなっています。確かに石橋は度重なる洪水と3.11などの大規模震災には大変脆いんですよね。事実、東京都千代田区日本橋川に架かる常磐橋は3.11で石がずれ込んでしまっている様で、震度4以上の揺れで抜け落ちる可能性が大きいとの事で今現在立ち入り禁止にし、機材による監視が続けられています。
こうして石橋は姿を消えつつありますが、せめて『史跡』として残り続けていて欲しいものですね。