出雲御国紀行4

どうも荒川鯉師です。
昨日の続きでして1日目となりますが、松江駅を出た後はまだホテルのチェックインには早い時間でして、仕方なく(当初3日目に行く予定であった)松江城へ行く事に。そしたら城の袂に松江神社があったのでこの旅の祈願をしまして、早速この神社の謂れを調査。すると立看があったので、紹介させて頂きます。
松江神社は、松平直政公・堀尾吉晴公・松平治郷公・徳川家康公を御祀神とする。明治十年に旧松江藩の人々によって、川津村楽山に松平直政公を御祀神として楽山神社が創建されましたが、寛永五年に堀尾忠晴公朝酌村西尾に創建した東照宮を明治三十二年に合祀し、当地に御遷座松江神社と改称されました。
昭和六年に松江開府の祖 堀尾吉晴公、松江藩中輿の名主・不昧流茶道始祖松平治郷公を祀り、今日に至っています。本殿は寛永五年、拝殿は寛文元年建造の権現造り、手水舎は寛永十六年に建築されたものです。
さて次に松江城に入城しまして、城内を散策。松江城はまたの名を千鳥城とも言い、全国に現存する12天守の1つであり、天守の平面規模では2番目、高さでは3番目、古さでは4番目である。昭和十年に国宝に指定されたが、昭和二十五年に重要文化財に改称された。天守は付櫓を加えた複合天守で高さ30m、外観5重、内部は6階となっており、最上階は望楼式で、下見板張りの壁や狭間、石落としなど実践本位で安定感のある無骨な体裁に、桃山風の壮重雄大な姿を現代に伝えています。
おっと、これはどう言う事か。柱が一本柱では無く、何本もの柱が合わさっているではありませんか。これは現代で言う集成材でしょうか?詳しく調べてみると、これは寄木柱と呼ばれるもので、松の一本柱を寄せ合わせ、これを鉄輪で締めて太い柱が造られている。この柱の方が、普通の柱より力学的に強く江戸時代の建築技術の高さが伺えます。
と言う訳ですっかり宍道湖に日も落ち始めたので、3泊4日お世話になるホテルへ直行。夕飯を駅前のお好み焼き屋で済ませ、ビールを頼んだら泡:液=7:3で出され、これが松江の洗礼かと心に傷を負い1日目は終わりました。
出雲御国紀行5では、いよいよ出雲を旅行します。では。