紀伊半島巡拝紀行5
どうも荒川鯉師です。
この紀行も駆け足で進んでおります。なぜ駆け足かって?それは、就職先の配属部署が決定した為です。埼玉県から出て行くことになりますが、何時かは帰って来たいものです。
さてそんなわけで、今回は、和歌山県第2弾と言う事でどうぞ。
鯨骨鳥居
1688(貞享5)年に刊行された文豪 井原西鶴の名言集「日本永代蔵」には、江戸時代の大富豪の様子が描かれています。
その文中には、鯨恵比須の宮に立っていた鯨の胴骨の鳥井(鳥居)を見て驚いた事や鯨とり名人「天狗源内」の活躍ぶりについて面白おかしく綴られています。
この鯨骨鳥居は、当時の情景を想像し、1985(昭和60)年に再現されましたが、腐食したため、鯨骨を水谷誠氏にご寄贈により1996(平成8)年1月に太地魚商組合が再建したものです。
潮岬灯台
1866(慶応2)年、江戸幕府がイギリス・フランス・オランダ・アメリカの4カ国と締結した江戸条約で建設が決められた観音埼・野崎埼・樫野埼・潮岬・伊王島・佐多岬各灯台の八灯台のうちのひとつでした。
設計者に英国技師ヘンリーブラントンを招き、1869(明治2)年4月に着工、1870(明治3)年6月に竣工した。同年月10日に点灯を開始した日本初の様式木造灯台でした。その後1873(明治6)年9月15日に正式点灯して業務を開始しました。
1878年(明治11)年4月15日に現在の石造りに改築し、現在に至ります。
参考資料
第五管区海上保安本部 田辺海上保安部管理
説明看板(一部省略・加筆)
潮御崎神社
御祭神を少彦名命とする。信仰は海神・航海・漁業・農業・医術医薬・厄払に霊験あり。
第12代景行天皇28年潮岬は字御崎の地にある「静之窟」へ少彦名命を初めて勧請した。これが潮御崎神社の創始である。
871(貞観12)年当時では、潮見の端に建てられたが、1869(明治2)年に潮岬灯台建設のため、境内を供出し現在の地へ遷座した。
社号の潮御崎神社は古来、熊野御崎神社・御崎大明神・御崎観音・水崎明神として現在に伝えられている。