紀伊半島巡拝紀行6

どうも荒川鯉師です。
今回は磯部・志摩地方を巡拝させていただきました。それではどうぞ。

伊雑宮

皇大神宮鎮座後、倭姫命が神饌の御贄地を求めてこの地を訪れた際、国津神の伊佐波登美命が国を譲り、神宮が営まれることとなった。
古くから「遙宮」と称されており「磯部の大神宮さん」などと親しまれている。

磯部の御神田

伊雑宮の隣地にあり、起源は定かになっていないが平安末期に現在の形が成立したという説が一般的である。毎年6月24日に行われるが、これは倭姫命が巡幸した際に7匹のサメが野川を遡上し、伊雑宮の鎮座地を示したという「七本鮫」伝承に基づいている。この日は近隣の漁師は休漁する習わしとなっている。

天の岩戸

天の岩戸は、須佐之男命が高天原で乱暴を働き服織女を一人殺めてしまったことを嘆き、天照大神が岩戸へ引き篭もってしまったお話(諸説あり)に登場する重要な舞台だが、北は長野県、南は沖縄県まで伝わり定かになっていない。この岩戸は恵利原の水穴と言われ、多量の水が湧き出している。

磯部神社

御祭神を正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊など五男三女神四十九柱を祀る。
磯部地方の神社は、海の幸をもたらす神への信仰は強く、かの南方熊楠は「磯部大明神は今も船夫海師に重く崇められている。鮫を使者とし厚く信じるもの、海に溺れんとする、鮫来たり負いて陸に達するといふ――」とある。

佐美長神社

倭姫命が志摩地方を巡幸した際、稲穂をくわえた真名鶴が現れ、それを落としていった。倭姫命はその穂から育った田を「千田」と称え、真名鶴を五穀豊穣の神である大歳神の化身であるとし、これを祀ったことが佐美長神社の起源とされている。

神明神社

御祭神を天照大神など十六柱を祀る。
境内には、石が置かれており、願いを込めて持ち帰り、一年後には戻しにくる風習がある。






参考資料