履き違えてる話

どうも荒川鯉師です。
先日NHKで恐山の特集を放送しており、観ていたところこんな一部始終が・・・それは、女性が走っているので撮影班がお話を伺ってみると「御朱印が貰えなくなってしまうので・・・」と言う事。まぁ広島から来た方なので明日の予定とかが決まって時間が差し迫っているのはわかるのだが、ここで考えて欲しいのは、果たして「恐山を訪れに来たのか」それとも「恐山にあるお寺の御朱印を頂きに来たのか」と言う2択な訳だが、恐山に来た意味を「御朱印を頂く」と言う目的に履き違えている可能性があるのである。また、私が諏訪大社四社巡拝したときも普通、参拝をしてから御朱印を頂くのが常識と言うか当たり前だと思うのだが、突然、御朱印を頂きに来て社務所の方に「御参拝はお済みですか?」と促されて初めて参拝する人を多く見てきた。
目的は神社に参拝しに来たのではなく、御朱印を頂きに来ただけと言う履き違えた行為を行う人が横行している。
そんなことをする人には「当たり前」の事だと言われるのだろうが、それは違うと私は断言出来る。何故なら「御朱印とは神札と同等のものであり、神様の神気が宿るものであるのに、その神様に挨拶をしないのは失礼極まりないからである。」
まぁ、普通なら分かるものですからね。分からないと言うことは本来の意味での「新参者」と言う事であり「履き違えた者」ですので、昨今の「神社」と「御朱印収集」のブームには気を付けて欲しいです。履き違えたら最後、終わりですから。