神社で起こるトラブル

どうも荒川鯉師です。
ブログのタイトルから見ても分かる通り、今回はなかなかシュールな話ですが、どうぞよろしく。
神社でのトラブルと言えば、大体がお祭りでのぶつかり合いが殆どを占めていたと思うのですが、伊勢神宮式年遷宮出雲大社遷宮をはじめパワースポットブームの煽りを受けて、全国的に神社参拝がブーム(と言う言葉で良いのか?)となっています。知り合いの神主(以下、A氏)と話をする機会があり、その方が話すには『全体的に若い人が増えた』と言います。また、あの忌まわしい3月11日東日本大震災以降、参拝者が増えたと言います。やはり日本人の心の拠り所として神社が再認識されて来たのだと思います。
しかし、神社に来るのであればそれなりに参拝方法を学んでから来るべきはずなのですが、ただの観光地と勘違いしている傾向がある。
A氏がまず驚いたのは、御神木の樹皮を剥がして持って帰ってしまう人が多発したそうです。
A氏は応急対策として、御神木の周りに杭を打ち、立ち入り禁止にした他、立て看板で注意喚起を行って初めて、持ち去り騒動は沈静化を見せたとの事。普通、御神木の樹皮を持ち帰るなんて常識的に見れば分かることだと思うのですが、やはり目先の事しか考えてない人にはそれが分からないのでしょう。
次に多いのが、落書きや傷文字。この行為が多いのは、厳島神社などに代表されるいわゆる『神社の観光地化』となってしまった場所に多い。柱や鳥居に『〇〇だいしゅき』『ず→っといっしょだよ』などキモい若者言葉で書かれているのが多く、軽率な行動と言える。また、これらの行為は文化財保護法違犯』『器物損壊』に値するので発見された方は速やかに神職や警察に通報して下さい。こう言う輩はTwitterの一連騒動の様に騒ぎが大きくなって初めて自分の行った愚かさが分かる程度の人間なので。
次に問題なのは地元住民とのトラブルである。規模の小さい神社では駐車場が無いため、路上駐車した事から住民とトラブルになったり、私が経験した事では、私が三重県のとある神社へ参拝した折り、地元住民から「おい。お前観光で来たのか?」と言われ、自分が「違いm」の所で「てめぇみたいなのが来る所じゃねぇ!帰れ!二度と来るな!」と突き返された事があり、私も車でその人が消えるのを待っていたのですが、向こうも私が消えるのを待っている様で、私はその場を退散しました。
ここからは予想だが、その人が氏子をしている神社を観光地と言う穢れに染まるのを恐れたのか、過去に観光客と一悶着あったのか、私の参拝作法に重大な欠陥があったのか・・・今となっては調べる手段は無いですが、あの神社で騒動を起こしてしまったので、一生その神社の鳥居をくぐる事は無いでしょう。
実はあまり知られていないのですが、明治の初め位から伝わっている話で『神社(拝殿・本殿)を正面から撮影してはいけない。』と言うのがあり、これは私もA氏と話をするまでは知らなかった事でした。神を映写機(カメラ)に焼き残すと言う行為は、神が意図しない所で分社化し、意図しないと言う事は無意識と言う事であり、その無意識の神はいずれ荒み穢れ、荒神と化しその周囲の人間を不幸に落とすと、言われています。
私はこの話を聞いてから、正面からの撮影はしない様にしています。
私は決してブームが駄目だとか新参者お断りと言いたいのでは無く、神社の基本作法を守り、常識を持った行動をする事が大事と言いたい。御神木の樹皮を持ち帰って家内安全を祈りたい。しかしその行為は木を痛めつけ、枯損木にさせる事なのである。御朱印が欲しいけど時間が掛かる・・・だったら最初に渡して参拝してくればいいや・・・その御朱印は誰の御朱印ですか?自分のですか?いえいえ、神札と同等であり、まず最初にその神様にお願いを聞いてもらい、そして御朱印を頂きますと、一言添えてから頂くのが、私が言いたい神社の作法であり常識だと思うのですが。(神社によっては御朱印帳を最初に預けてくれる所もありますが、あれもA氏いわく『神社側の妥協』だそうです。)
今一度、神社の基本を見直してはいかがでしょうか?こう言っている私も、毎日が勉強です。完璧にこなせるのはあと何年後か何十年後か、はたまた一生か・・・このブームは一過性で終わらないと私は考えていますが、果たしてその中から一体何人の人が作法をわきまえる事が出来るのてしょうか。