東京十社巡拝紀行

どうも荒川鯉師です。
去年の今頃から年末にかけてと長い時間を掛けて東京十社を巡拝しました。
順序や時間列はバラバラですが、それでもよろしければどうぞご覧ください。

東京十社巡拝

王子神社


御祭神は伊邪那岐命伊邪那美命天照大御神速玉之男命事解之男命を祀る。
1323年(元亨二)、当時この地を治めていた領主豊島氏が紀州和歌山県)の熊野大権現を勧請し、若一王子宮と奉斎したのが始まり。この地の『王子』とは王子宮からの名称である。
後に徳川家康公が将軍家祈願所と定め、歴代将軍の信仰は大変厚く八代将軍徳川吉宗公が1738年(元文二)に飛鳥山を寄進し、以降王子権現と飛鳥山の花見は江戸名所として現代まで語り継がれている。
古より語り継がれている田楽舞は、戦前に『喧嘩祭』の異名で有名だったが、いつの頃か廃れてしまった。そこで氏子衆が結集し1984年(昭和五十一)に復元され、現在では北区無形文化財に指定されている。


白山神社


御祭神は菊理比竎命・伊弉諾命・伊邪那美命を祀る。
949年(天暦二)、加賀(石川県)一宮白山神社を現在の文京区本郷に勧請したのが始まり。1338年(建武四)、足利尊氏公の命により国家平安祈願所となり、その後1517年(元和二)に徳川秀忠公の命により巣鴨原へ遷座したが、1652年(慶安四)に徳川家綱公の用地となり、1655年(明暦元)に現在の地に落ち着いた。
徳川綱吉公と生母桂昌院の信仰を受け、小石川の鎮守となる。
近年に入り、境内にアジサイを植え6月ともなれば群れ咲き、紫陽花神社として都心の新名所となっている。


根津神社


御祭神は素戔嗚尊大山咋命誉田別命大国主命菅原道真公を祀る。
景行天皇の御代である日本武尊駒込の地に創祀し、1469〜1487年(文明年間)に太田道灌氏が社殿を奉建した。
現在の社殿は1707年(宝永三)に徳川綱吉公が嗣子家宣の氏神社として当地に奉建したものであり、その当時の唐門・透塀・楼門等の全てが現存しており、国の重要文化財に指定されている。また、祭礼は天下祭として現代に伝わっている。
境内は7千坪あり、古くよりつつじが岡と字が残り、今でも数千本のツツジが咲き乱れる。


亀戸天神社


御祭神は菅原道真公を祀る。
1662年(寛文二)に菅家の後裔である菅原大鳥居信祐公が九州(福岡県)の太宰府天満宮よりこの地に勧請したのが始まり。
地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構を全て太宰府に倣って造営されている。
創建当初より亀戸宰府天満宮とも号され、朝野の信仰も厚くまた、行楽の名勝地としても喧伝され杖をひく人跡を絶たない繁栄を見せ、江戸庶民信仰の根源として関東天神信仰の中枢を占めている。
春は梅花に藤の花、秋は菊花――
四季折々の彩はまさに『花の天神様』と言うにふさわしいのではないか。


富岡八幡宮


御祭神は応神天皇神功皇后仁徳天皇、天照皇大神常磐社神、武内宿祢命、日本武尊天児屋根命、竈大神を祀る。
1627年(寛永四)に創建され以来、深川・新川・箱崎の氏子を始め、広く人々の崇敬を集めている江戸最大の八幡様で「深川の八幡様」と親しまれている。
八幡宮の祭礼は、深川八幡祭りとして江戸三大祭の一つとして氏子町内神輿120数基による勇壮な水掛け祭りが知られている。
1991年(平成三)に復活した御本社神輿は台輪幅五尺(約166.5㎝)の日本一の黄金神輿である。また、江戸勧進相撲発祥の地でも知られ、歴代横綱の名を記した横綱力士碑がある。


神田神社


御祭神は大己貴命少彦名命平将門命を祀る。
730年(天平二)に出雲族真神田臣が祖神大己貴命を現在の皇居大手門付近に祀ったのが始まり。その後、時宗真教上人により平将門公が合わせて祀られて以来、江戸総鎮守神田明神として広く庶民の信仰を集めた。
1616年(元和二)に江戸城改築の際に、艮の鬼門の守護神として現在地に遷座され、歴代将軍家の崇敬厚く、特に神田祭は天下祭として現在に至っている。
その後、明治天皇の御親拝を仰ぎ、現在は東京の中心108町の氏神として崇められている。


日枝神社


御祭神は大山咋神、国常立神、伊弉冉神、足仲彦命を祀る。
創建の年代は不詳であるが、1478年(文明10)、太田道灌公が江戸城築城にあたり、川越(埼玉県)の喜多院の鎮守である川越日枝神社江戸城内の紅葉山に勧請したが始まりとされる。
1590年(天正十八)に徳川家康公が江戸城入府の際に将軍家の産土神と崇め、社殿を造営し神領を六百石寄進した。天下祭の一つとされる天王祭は御用祭とも称され、日本三大祭の一つである。
1868年(明治元)の東京遷座と共に准勅祭社とされ、皇城の鎮護の神として官幣大社に列せされた。その後は武蔵野の開拓や大江戸の鎮護の神として広く都民の崇敬を集めている。


赤坂氷川神社


御祭神は素盞嗚尊、奇稲田姫命大己貴命を祀る。
創建は951年(天暦五)に赤坂一ッ木に創建したのが始まり。江戸幕府の崇敬篤く、紀州徳川赤坂屋敷(旧赤坂離宮)の産土神の由縁によって八代将軍徳川吉宗将軍職を継ぐに至り、1729年(享保十四)、赤坂今井台に神徳を謝し現社殿を造営、八代により徳川家茂公まで歴代の直拝朱印状が納められている。
1952年(昭和二十七)に社殿、1954年(昭和二十九)に東京都指定文化財に指定されている。


芝大神宮


御祭神は天照皇大神豊受大神を祀る。
1005年(寛弘二)に創建したのが始まり。古くは芝明神と称していたが、1872年(明治五)正式に官許(政府が特定の人や団体に特定の行為を許すこと。:大辞泉より引用)され、芝大神宮に改称された。
歌舞伎で有名な『め組の喧嘩』はこの神社で発生したものであり、乱闘要因を招集する為に使用した半鐘を島流しにするなど厳しい勘定が行われた。



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荒川鯉師 

※引用※
東京十社配布「東京十社めぐり」内文章
各神社配布資料