タマちゃんを今考える・・・

どうも荒川鯉師です。
ペンネームに荒川とうたっている以上、荒川で起こった出来事は大半出くわしています。
そんな中で一番の衝撃だったものは『タマちゃん・あらちゃん・イノシシ』です。他にも野焼きの延焼火災や土座衛門など…さまざまな様子を魅せる荒川(河川敷)は、神奈川県に引っ越してから気付き、その魅力は増すものです。
さてそんな中、東方茨歌仙 Wild and Horned Hermit.6(原作:ZUN 漫画:あずまあや)に「〜〜人間と一緒に居た頃が忘れられず再び河に行ってみたら 既に人間に忘れられていた――」と言うお話があり、恐らくタマちゃんがモデルと考えて間違いなさそうです。
そんなことで、これを機にタマちゃんについて自分史も兼ねて書き起こしてみようと思います。
最初タマちゃんが多摩川に現れたのは2002年8月のこと。突如現れた珍客に河川流域はお祭り騒ぎとなった。汚いイメージの都市河川に現れたためか、網で捕まえて海に戻す派と事を考え静観した方がいい派が現れ、両者で言い争いになり警察が動く事態になった事を記憶している。その後、鶴見川などを経由し2003年4月に秋ヶ瀬橋と武蔵野線荒川橋梁の間にあるボート係留場に現れた。
そこからが凄かった。連日の車、車、車の列、中継車に観光バスと、とにかく志木・朝霞の道路は連日渋滞をみせた。車で秋ヶ瀬橋を渡るには通常数分も掛からないがあの時ばかりは1時間掛かっても進まない状況にあった。同時に違法駐車や無許可での火気使用(BBQ・キャンプ)も目立つ様になり交通機動隊が連日、川に出向いていた。
当時、小学生の私は秋ヶ瀬橋下の旧船着き場で吸い込み釣りと言う鯉釣りに使う数本の針が付いたものを使用していたが、あの時あんな事になるとは予想もしていなかった。と言うのもタマちゃんのこめかみ辺りにその吸い込み釣りの仕掛けが引っ掛かると言う事件(?)が発生した。それと同時かちょっと経ってから「タマちゃんを見守る会」を名乗る中年男性3〜5名が、その吸い込み釣りをしている私と周囲で同じ釣りをしていた人に向けて罵声を浴びせ石を投げつけてきたのである。小学生であった私は怖くなり葦の茂みに隠れ、他の釣り人数がそれに応戦。むなぐらのつかみ合いになっっていたのを今も鮮明に覚えているし、茂みに隠れた際に左手首に刺さった葦の傷跡がその当時の恐怖を物語っている。
近くには多くの警察がいたので騒ぎを聞きつけ静止に入り、報道陣も多く駆けつけていた。その時、フジテレビ(?)に取材を受けた記憶も残っている。でも、テレビで報道されたと言う記憶は皆無であり、この事を親に話しても一切信用されなかった。
そんなこんなでタマちゃんフィーバーが冷め始めた2004年2月頃、その頃になってやっとタマちゃんを見に行った。地元を混沌の渦に貶め、人々を狂乱させたアゴヒゲアザラシは荒川のウナギを食べまん丸に太っていた。タマちゃんの近くに住んでいたホームレスも、写真売りをやめ(どうやって写真を入手したのかは不明)いつもの釣り人に売るミミズ売り(カップ持参500円)に戻っていた。話をすると「この1年間は夢を見ている様だった。」と話していた。それだけ儲かったのだろう。タマちゃんを観ている人は私を含め2〜3人だった。テトラポッドに上って近場で見てもタマちゃんは逃げず、大変人馴れしていた。そして私をジーッと見て目を細めていた。まるで謝っている様な感じだった。その時のタマちゃんをフィルムカメラで撮ったが、その写真もフィルムもどこに行ったのか分からない。大変もったいない事をした。
それを最後にタマちゃんは姿を消したのである。
ある釣り人は笹目橋下で死体があがったと言うもの、新河岸川で見たと言うもの、秋ヶ瀬取水堰の水門に挟まっていたと言うもの多くいたが真意は全くの不明である。
東方茨歌仙の話が本当だとすると、一回荒川に帰って来たのか?だとすると、あのクルーザーは違うクルーザーになっているし、私が避難した葦のり面も自然風護岸に変わっている。浚渫も行っていたので河床も変わっているのではないか?おかげで鯉の回遊ルートが変わってしまい、探し出すのに半年を要した。全てがあの時とは違う様子なのである。それに愕然として幻想入りしてしまったとなると、なんとも残念である。

荒川三大驚愕のイノシシに関しては、
http://d.hatena.ne.jp/b01012045/20120302/1330679726「昔こんな事がありました」をご覧ください。