よく見る富士山の姿に…

どうも荒川鯉師です。
休みになると、午前中には部屋の掃除や洗濯に追われる訳ですが、午後には暇が出来ると最近の暇つぶしスポットへ車を走らせます。そこは、マツダターンパイク箱根の箱根大観山口。ここは駐車場と食事が出来るスカイラウンジがあり、スバルインプレッサGT-Rなど走り屋の車やダットサンなどの旧車、スポーツバイクやオフロードバイクなどが良く停まっており、車やバイクに疎い私でも十二分に楽しめる空間となっています。
さてそんな所から見える景色は、芦ノ湖と裾野が広がった雄大な富士山の姿を望む事が出来ます。ここ最近は暖冬によるものなのか、富士山に雪を被っておらず、少々さみしい富士山でしたが、17日〜18日にかけて降った降雪により、裾野の下まで被った冬富士の姿を拝む事ができました。

とは言っても、私の車はまだ夏用タイヤ。路面凍結を警戒して県道75号線を登って来たのは正解でしたが、芦ノ湖側に降りるのは危険と判断し、そのまま駐車場で迂回して下山しました。
せっかく芦ノ湖側から箱根に抜けて風呂に入ろうと思ったのですが、それはまたお預けとなり、湯河原温泉で日帰りとなったのでした。そろそろ勿体付けないでスタッドレスタイヤでも買いましょうか。
余談ですが、最近富士山の方から『ドーン…ドーン…』って聞こえるんですよね。富士演習場の号砲音かなとは思うのですが、まるで蟲師に登場するクチナワが鳴く声みたいに。

地震の痕跡を残す神社〜火雷神社〜

どうも荒川鯉師です。
東北を主とする太平洋沿岸を襲った東日本大震災に伴う大津波は、ありとあらゆるものを奪い去り今もなお復旧・復興が行われているが、その中でも注目されているのが貞観年間に発生した貞観地震に伴う大津波の爪痕は『浪分神社』として後世に残されていた話は、多くのメディアで取り上げられ、先代が遺し、時代とともに埋もれてしまった史実を浮かび上がらせるものだった。
そんな東北から離れた静岡県函南町にも同じく地震による被害を後世に遺そうとしている神社がある。火雷神社(からいじんじゃ)と言われる神社に今回は参拝してきました。それではどうぞ。

火雷神社と丹那断層


神社の謂れが記された看板が無く、正確な事は言えないが社名からし火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)を祀っていると考えられる。その名の通り雷神であり、雷の猛威に対する畏れや稲妻と共にもたらされる雨の恵みをもたらす事から農民の間で広まった信仰神であり、この函南地区は、酪農業地域であるため自然発生的にこの神社を信仰したとしても不思議ではない。

その神社の旧鳥居と階段の間を丹那断層と言われている断層帯が走っている。そんな断層が最後に動いたのは昭和5年(1930年)11月26日午前4時2分、M7.3の地震が発生し現函南町三島市などで震度6(昭和5年当時の震度階級)を観測し北は福島から南は大分まで揺れを観測した。貯水池の決壊による水死者を含め、静岡、神奈川県を中心に死傷者・行方不明者272名を数える災害となった。この地震は、後に北伊豆地震と言われている。

なお、この地震が発生する20日前の11月7日から群発地震を観測し、本震の前日である11月25日にはM5.0の地震を観測し、この地震が発生した。また、伊東市沖でも不穏な動きが観測されており、2月13日を皮切りに5月末まで揺れを観測し特に3月9日のM5.3、3月22日のM5.9、5月17日のM5.8の地震を観測し伊東市が最大10cm隆起した。

なお、この伊東市群発地震と北伊豆地震の関係性は分かっていないが、隆起したとなれば、伊豆半島、特に半島と本州の付け根に相当歪みが溜まり、その歪みに耐えられなくなった断層が動き北伊豆地震が発生したと容易に推測出来る。
北伊豆地震によって発生した断層は最大3.5mの水平移動、2.4mの上下移動が丹那盆地で観測されました。
そんな水平移動した断層の痕跡が残っているのが最初に説明した火雷神社にある。旧鳥居は倒壊して柱の一部しか残っていないが、旧鳥居と階段のズレが地震のパワーと威力を物語っている。詳しくは図示をみていただけると幸いです。

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久々の調査報告ブログでしたが、自分の趣味である地学と神社の両方が見れる神社を参拝出来て大変勉強になりました。
さて、次は何処を調査しようか...。

出典


いま再びの箱根

どうも荒川鯉師です。
1月4日に箱根神社へお参りに行きましたが、その時に車の交通安全お守りを納め忘れてしまい今回、お札を納めに再び箱根へ向かいました。

4日の時は、大渋滞でしたので、箱根駅伝往路終点の場所にある無料駐車場へ車を停め、歩いて箱根神社へ向かいましたが、今日は大丈夫だろうと思ったのが運の尽き。大渋滞に阻まれ、箱根役場出張所横の無料駐車場へ。
そこから歩いて箱根神社へ向かい、参拝し納め次に向かうは、静岡県熱海市に鎮座する来宮神社へ。丁度、どんど焼きを執り行う所だったので、私もお邪魔してどんど焼きに参加。白赤白をアルミホイルで包んだものを、焼かれている納められた神札の下へ。去年は大病が続いたので、今年は無病息災を願い食させていただきました。

続いて、熱海市伊豆山にある伊豆山神社へも参拝。そこでは絵馬に無病息災を願い掛けさせていただきました。最近はやっているのか、すべての神社に痛絵馬がありましたが、まぁそこはまた別の話で。
時間も差し迫り、最後に向かったのは、神奈川県湯河原町にある五所神社を参拝。写真は撮らなかった事を後悔しながら家路に着くことになりました。
それでも久しぶりの神社巡拝が出来たことは自分にとっても大きな心のゆとりになりました。これで今年は良い年になる事を願いたいばかりです。
ちなみに写真は、1月4日の写真(下)と1月11日(上)のほぼ同位置から撮った写真となります。富士山の有無はやっぱり景観の雄大さに影響しますね。

2016年

明けましておめでとうございます。荒川鯉師です。
年明け2日目からの仕事に一区切りがついたので、今日はお休みとなりました。まぁ、こう言う時にこそ忙しくなる業務ですのでしょうがないと言えばしょうがないんですよね。
そんなこんなで、元旦は地元に帰省することが出来ましたので、毎年恒例の『天香背男命(明けの明星)の討伐』はどうなったのか?5時半現在では、こうこうと輝いていた明けの明星も日の出の数分前には消えてしましました。今年も天照大神の勝利と言う事でしょう。
そんなこんなで迎えた今日。業務の完遂を見届けて向かったのは、箱根の地に鎮座する箱根神社。三が日も過ぎたので幾分空いているだろうとたかを括っていましたが、結果は正反対の大渋滞。仕方ないので、箱根神社から離れた無料駐車場に止め、徒歩で向かうことに…。
箱根神社の境内は思っていたよりも空いており、順調に参拝出来ました。まぁ、大宮の氷川神社の人員整理に比べたら平和な箱根神社でした。
そんなこんなで、今年もどうぞよろしくお願い致します。
それにしても、今年の富士山は雪が少ないですね。暖冬の影響なのでしょか?それとも…

出典、引用の脱落

どうも荒川鯉師です。
今、私はどう言う訳か病院におります。詳しいことは省きますが、まぁ孔が開いてるんですね。
そんなこんなで簡単に近況報告をしましたが、そんな折、自分のブログを見返していると、とんでもない事が判明しました。それは今回のタイトルにもなっている「出典、引用の脱落」と言う事実。特に写真やデータの分野に多く『郷土史研究』で特段に目立ちました。今まで良く指摘をされなかったなぁと思う反面、管理者として猛省しなければいけない今回の事象。
今は出来ませんが順次、出典、引用を載せたページに改変させていただきます。

大山登山

どうも荒川鯉師です。
約5ヶ月ぶりのダイアリーですが、別に止めていたとかネタが無いとかそういう訳ではなく、単に仕事→寝る→仕事の生活を続けると、こう言ったもの系は全く触らなくなってしまうんですよね。おかげで、東方projectだって相当日数触っていないし書籍の方も未購読が多いし…「社会人になると東方から離れてしまうユーザーが多い」と言うのも学生の時は「暇ぐらいあんだろぅ」ぐらいに思っていましたが、いざ社会人になってみると、暇ないですねぇ〜。寝ても覚めても「仕事」で休日も「休日出勤」と言う言葉がありますので、休日と言う休日は冠婚葬祭の最初の3・4時間ぐらいです。ふいに会社携帯を開けると着信が25件とかざらですからねぇ〜。俺がいない時でも体制が取れる様にバックアップ体制は取っているはずなんですけど、なかなか機能しません。
さてそんな休日出勤を作り出す会社携帯を家に置き、参拝したのは神奈川県は大山に鎮座する大山阿夫利神社です。それではどうぞ。

大山阿夫利神社

御祀神に大山祇大神、大雷神、高龗神を祀るがこの神は明治時代の廃仏毀釈令によって定められたもので、それ以前は石尊大権現を祀っていた。
創建は、崇神天皇の時代(西暦201〜300年?)と言われており、定かではないがどちらにしろ歴史的に古い古社である。
古くから山岳信仰の対象として知られ、山上によく雲が生じて雨や霧を降らすことが多く別称を「あめふり山」とも呼ばれ、雨乞いの対象としてしられている。また、中世以降は大山修験が盛んになり、源頼朝など多くの武家の崇敬を受けた。江戸時代には当社に参詣する大山講が関東各地に組織され、多くの講者が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日まで期間に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。
大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるとされたため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれ、富士登山と並ぶ人気の登山地として現在に続いている。

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そう言う事で、麓から男坂ルートを使い下社まで登山参拝する事に…しかし自分自身こんなに体力が落ちていることにショックを受けながら24分で下社へ。上社へは登山装備をそろえていなかったので断念。決して疲れたとか足が震えているとかそんなんではありません。

ダイアリーを書く時間が無いので、ざっくりと

どうも荒川鯉師です。
ノッコミが始まる5月も過ぎようとしているのに、一回も釣行に行けていません。そんなんでは鯉釣りを専門にする人の別称『鯉師』の名に恥じてしまいます。しかも神奈川県に引っ越したので多摩川鯉師』とでも改名しようかとも考えましたが、某mラジオでもこの名を使用しているので、このままで行きたいと思います。
さて、話がずれましたがこの5月は多くの場所を参拝した訳でありますが、何せ会社の忙しさときたらとんでもない事になっています。
そこで、紀伊半島巡拝紀行のダイアリーで紹介した様式『一日分紹介方式』いきたいと思います。
それでは次回より撮り溜めた巡拝紀行を紹介します。