郷土史研究6

どうも鯉の子です。
郷土史研究ももう第6回目を向かえてしまいました。史跡物がある限り開催させていただきます。
では本日は志木市の大きな祭りである敷島神社祭典(志木祭り)である敷島神社を紹介いたします。
新河岸川の舟運で当時(江戸〜明治期)地域で一番栄えていた引又地区(現志木市本町一帯)の住民が地区独自の鎮守として信仰していた(要するに土着神と言う事かな?)村山稲荷(祭神・倉稲魂命)、星野稲荷(祭神は村山様と同じ)、水神社(祭神・罔象女命)を元々あった浅間神社(祭神・木花開耶姫命)に合祀し新しい鎮守として明治41年に創建されました。
特徴的な祭祀は5月例大祭6月人形流しと茅の輪くぐり(鍵山雛八坂神奈子のコラボレーションやぁ〜→夏の悪疫除け)7月天王祭(志木祭り)、8月火祭り(下記詳細)、11月舞いの奉納が行われます。
また境内には田子山富士塚と言われる富士山を模して造られた人造山があります。築造は明治二年10月から5年6ヶ月かけて造られました。
高さ12mあり岩石や溶岩を実際の富士山から運んできてこの山に置かれています。そうする事によって実際の富士山に行かなくてもこの田子山富士塚を登れば富士山と同じご利益が得られるとの事。特に富士信仰を持っている人はわざわざ富士山まで行かなくてもよいと言う事で大変喜んだとも言われています。

神名一覧

ではでは上記の火祭りについてなんですが、通称御焚き上げとも言い祭神木花開耶姫命が夫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に懐妊を怪しまれその証をたてるため八尋殿に火を放ち火の中で火照尊(ほでりのみこと)・火闌降命(ほすせりのみこと)・火祈命(ほおりのみこと)を生んだ神話にちなむ火祭りで安産・火難・災難除けとされこの祭りの後にでる薪の燃え残りを戸口に吊るすと盗難除けになると言われています。

※漢字拡大(音…ケイ、訓…たま。難読読み名として瓊瓊杵尊が有名)

写真説明
敷島神社     本殿と御神木
田子山富士塚  左から田子山富士塚浅間神社、敷島神社
人穴…太平洋戦争中は防空壕として使用された。