武蔵野台地の境目

どうも鯉の子です。
3月11日の東日本大震災以降、住宅地区として注目を集めだした所があるんだそうです。そこは武蔵野台地。位置としては東京・立川市国立市国分寺市、埼玉県新座市志木市などの関東内陸地でロケーションが良いとされていた海沿いは埋立地なので、そこよりも地盤がしっかりした地域を選びたいということらしいんです。
そもそも武蔵野台地とは、関東平野西部の荒川と多摩川に挟まれた地域に広がる台地である。その範囲は東京都区部の西半分と北多摩地域および西多摩地域の一部、そして埼玉県南部の所沢市狭山市などの地域を含み、川越市武蔵野台地の北端に位置します。台地の際が良くわかる所としては東京都にある上野恩賜公園アメ横の差の部分。上野恩賜公園の方が高台にありますよね。簡単に言うと武蔵野台地の際にいる有名人1位は西郷隆盛と言う事。それに東武東上線柳瀬川駅から志木駅朝霞台駅、朝霞駅の線路道、柳瀬川駅は沖積地帯(低地)※1なのに志木駅朝霞台駅武蔵野台地にあり、朝霞台駅〜朝霞駅は再び沖積地帯(低地)で黒目川による河岸段丘※2を見る事が出来る。そして再び武蔵野台地になる。と言う所ですかね。
まぁ志木市にも台地の際と言うものはありまして宗岡地区の住民にしてみては志木駅に行くまで相当辛い坂が存在するんですよ。本町通り(市場通り)の市場坂上信号場。志木駅に行く大通りとGHQが造ったとされる防衛道路の交差点ですね。祖母が言うには「あの坂は昔、急な坂の一つとされて地震の時に出来た断層と言われていた。」そうでもしアレが断層だったら地質学的に興味があるものです。因みに志木市をはじめあの一帯の台地の際の正式名称は『北部河岸段丘と言います。(←高校の地学にでますよぉ!)
写真を見て分かる様に左端下の駐車場と左上にある駐車場。台地のと低地の差がよくわかります。

※1、沖積地帯…太古の昔に海面上昇により関東の内陸にまで海が来ていた時代、その海が侵食になどによって出来た土砂が堆積作用によって砂や泥が沈殿し軟弱な地盤を形成した土地。3月11日に起きた東日本大震災液状化現象が発生したのはこの沖積地帯の歴史によるもの。

※2、河岸段丘地殻変動等によって侵食力を失った河川が隆起や海面低下などにより再び侵食を行うと、それまでの谷底に狭い川谷が形成される。谷底平野は階段状の地形として取り残され、河岸段丘が形成される。