郷土史研究17

どうも鯉の子です。
はてなダイアリーを始めて早300日を達成しました。まぁこれを機に第一回目から観てみたのですが、第一印象としては、画像が大きくなっている!初期の画像を見るとすげぇ小さいのなんの…まぁそんな失敗を繰り返して今の状態になっているんですね。では本題に参りましょう。
今回は、新河岸川の堤防についてですが、あまりピンと来ない方もいるかと思います。でも、全国的に見てもなかなか珍しい状態で残っているので紹介したいと思います。

新河岸川の三代堤防

新河岸川のいろは橋より下流左岸にちょっとした公園がありますが、そこに『三代堤防』が存在しています。そもそも三代堤防とは、『江戸時代に築かれた惣囲提』と『昭和時代に築かれた堤防』『平成時代の堤防』と言う風に分けられます。では最初に江戸時代の惣囲提から見てみましょう。



江戸時代の堤防

宗岡地区は惣囲提と言われる輪中提に囲まれていました。当初の新河岸川は九十九曲がりと言われていたので、一番住宅地側に築かれました。この頃の治水とは、川を自然に流し、川に合わせて堤防があります。
写真の惣囲提も現在は田んぼになっていますが当時はこの田んぼは川でした。



昭和時代の堤防

河川改修され流れがスムーズになり、改修後の新川沿いに堤防が築かれました。そして堤防のギリギリにまで住宅地が迫り、堤防上に道路が敷かれ、現在でもカーブミラーの柱や交差点など、その跡が残されています。
写真は下宗岡側から富士下橋方面を写したのですが、アスファルトが敷かれているのが分かります。また写真右側に平成時代の堤防が見えます。




平成時代の堤防

この堤防は平成10年に築堤工事が行われていたのをよく記憶しています。そもそもなぜ平成に入り、堤防を築堤したのかと言いますと、農地や緑地の減少、アスファルトの増加により、雨水や生活排水が河川に流入し、水量の増加で昭和時代の堤防が間に合わず、度々水害が発生しました。その為、この堤防が出来ました。
写真を見ても分かる通り、比較的高い堤防となっています。なお写真右に見えるのが昭和時代の堤防となっています。


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まぁ以上ですが、今回ちょっと乱雑していますが、この方が見やすいかな…と。こんな調子で調整していきます。では最後の写真ですが、写真左のサイクリングロードが江戸時代の堤防、真ん中の少し高くなった砂利道が平成の堤防、オレンジの幕を越えて奥に見えるのが昭和時代の堤防となっています。