郷土史研究46

どうも荒川鯉師です。
ブログの掲載も久しぶりなのに、郷土史研究の掲載も久しぶりですが、もうそろそろこの郷土史研究も個人的な理由で最終回が見えて来た所であります。
そんなこんなで今回は、前回調査した『横堤』の追記調査を紹介致します。それではどうぞ。

再調査・横堤

そもそも横堤とは、郷土史研究4に記載されているが、改めて説明したいと思う。
横堤(ヨコテイ)とは、本堤(河川に対して平行にある堤防)から河川に対して直角に伸びる堤防の事である。本来洪水時であれば、速やかに海へ流すのが普通であるが、荒川の場合、下流域は東京を流れる為、洪水流が下流で悪さを起し、堤防決壊ともなれば大惨事は免れないのである。事実明治43年の大水害(参照:郷土史研究23では、荒川流域をはじめ東京にも甚大な被害をもたらしたのである。そこで、広大な河川敷を持つ埼玉県に荒川の洪水流を留めてもらおうと、流れに対して垂直に設けられた堤防が、横堤なのである。現代で言う「遊水池」の効果と同等である。
横堤の着工は意外にも新しく1918(大正7)年から開始された荒川上流改修工事の一環として、国家直轄事業として行われた。そうして1930(昭和4)年12月16日に着工し1932(昭和6)年1月31日に荒川横堤第一号となる宗岡横堤が完成した。
ここからが、再調査の範囲である。
この宗岡横堤があるのは埼玉県志木市下宗岡地先と言っても分からないので、分かりやすく言えば、秋ヶ瀬橋の所である。しかし、秋ヶ瀬橋を使った事のある方は分かると思うが、荒川堤外(堤防の内側。住宅地を堤防の内側と言う考えから堤外となる。)に横堤が無く、逆に堤内には横堤が残っていると言う現象が起こっている。昭和前期に造られた荒川横堤のほとんどは現存しているのだが、この宗岡横堤のみ消滅している。そもそも堤防は取り壊しをしてはいけないのが原則である為、この場に無くてはならないものが無いのには疑問が残る。
写真は、宗岡横堤堤内の様子だが、横堤上部に道路が敷設されている。これは旧秋ヶ瀬橋の跡である。
現在残っている横堤の使い道として、天端を道路に転用されています。また上流部では、JR川越線の鉄道路としても使用されています。


写真は、本来あるべき横堤が無い場所である。私の推測であるが、現在の秋ヶ瀬橋と堤外道路の間に空き地が見えるが、ここに横堤が在ったのではないかと考えている。


写真は、1965(昭和40)年に国土地理院によって空撮された写真と、2010(平成22)年ゼンリンによって空撮された写真である。昭和40年の空撮には、現存する宗岡横堤を捉えている。またこの当時、横堤上部を自動車が走っている事からも、上記に記した横堤使用例に洩れていない。


話しがずれるが、秋ヶ瀬橋が初めて架設されたのが1910(明治41)年の事で、志木市史によると当時は木製橋だった。次に架け替えたのは1938(昭和13)年の事で、空撮写真に写っている橋がそれだ。宗岡横堤が昭和6年に完成している事からも、元々横堤を使用し新橋を架ける事が予定されていたのかも知れない。また、自動車文化が根付き始めたのもこの時期からで、木製橋の限界を見据えていた可能性もある。そして現在の橋は1982(昭和57)年に完成し今年で31年目を迎える。そこから考察すると、宗岡横堤が無くなったのは、架橋工事がはじまった1980〜1981(昭和55〜56)年の間と考える事が出来る。
ではなぜ、横堤が無くならなくてはいけなかったのか。この事に関して志木市郷土史研究家の安斎達雄氏は、こう述べている。

新しい橋のための橋台を堤防(本堤防)にとり付けると、それだけ堤防に負担がかかり弱くなる。それを防ぐためには、定められた範囲の補強工事が必要となる。その範囲内に横堤があると、補強工事が出来なくなるので、横堤を除去することになったのであろう。<中略>しかし、いざという時にそなえてつくられた横堤が、どんな事情にせよ取り壊されてよいわけはない。取り去ってもかまわない条件が出来つつあったのではないか。これ以降は、わたしの推測であるが、その核となるのは「彩湖」と、それを含む「荒川第一調節池」※の存在である。<中略>荒川第一調節池が完成したのは2004(平成16)年3月のことであるが、工事が開始されたのは1980(昭和55)年のことであり、さらに計画されたのは1973(昭和48)年のことであった。
つまり、宗岡第一号横堤(鯉師記述では宗岡横堤と記す)は、横堤とは比較にならないほどの巨大な治水能力をもった荒川調節池が出来ることを前提とした上で除去されたものだったのだ。これが、たった一つだけ消え去った横堤の真実なのではなかろうか。
安斎達雄 荒川独特の治水施設 ―横堤を考える―

荒川第一調節池彩湖
常時水が蓄えている彩湖は、秋ヶ瀬橋から約800m下流にある貯水池である。彩湖渇水時には東京都や埼玉県の上水道として使用出来る様に、常時貯水されている。大洪水時には、彩湖から約3.5km上流の羽根倉橋付近に越流堤と呼ばれる堤防から、洪水流を流入させる。そこから流入された洪水流は、秋ヶ瀬公園・さくら草公園・彩湖の8.1km治水容量3,900万m3が荒川の洪水流を一時的に蓄える池の働きをする。この荒川第一調節池内にも囲繞堤(いぎょうてい・いにょうてい:河川敷内の遊水地を堤防で仕切って調節池とする場合、その仕切りに作る堤防の事を言い、その外側の本堤を周囲堤と言う。)となった横堤を含めると6基あり、荒川上流河川事務所管轄にある横堤は全部で28基あります。
荒川上流改修六十年史より引用